ダウン症を持って生まれた息子、医師から可能性を告げられたのは生後2日目でした。

ダウン症出産後いつわかる

ダウン症を持って生まれた息子を育てて8年になりました。

子どもに障害や病気が分かった時は、知識もなく出口が見えない悩みに感じました。

ですが、現在はどうでしょう。

ダウン症に関する正しい知識を少しずつ得ることや、息子との時間を積み重ねることで前向きになり、今では親子で楽しく豊かに暮らしています。

今回は、息子がダウン症と分かった時の詳しい様子と、当時の私がダウン症や病気について、どう受け入れていったのかを紹介していきます。

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2015年にダウン症と2つの合併症を持った息子を出産。大きな心臓手術を乗り越え、この世界で生きると決めた息子と、はじめての育児や子育てに奮闘しながらも、たくさんの支えの中で“ふつうの毎日”を楽しみながら暮らしています。現在第2子を妊娠中!

ダウン症候群について正しく知ろう

「ダウン症」は正式名称を「ダウン症候群」といい、21番目の染色体が3本あるために起こる生まれつきの疾患。

21トリソミーとも呼ばれます。

また、出産する母親の年齢が高いとダウン症候群の子どもが生まれる確率が上がるといわれていますが、最も頻度が高い染色体異常の1つで、偶発的に起こることがほとんどだそうです。

誰にでも起こり得ることで、600~800人に1人の割合で生まれるとされています。

ダウン症を持っている人は、筋肉の緊張が低く、発達の遅れもあります。発達の道筋は健常児とほぼ同じですが、全体的にゆっくりと発達していきます。

心臓の疾患、消化器系の疾患、甲状腺機能低下症、眼の疾患、難聴などの合併症がある人もいますが、全くない人もいるのでその人それぞれです。

昔は合併症なども治らず、早くに亡くなる人も多かったために短命と言われていました。

しかし、現在は医療の発達やサポート体制が進み、寿命も平均で約60歳と言われています。支援やサポートを受けながらも、多くの人が学校や社会生活を普通に送っています。

引用元:「厚生労働省」
参考元:「日本ダウン症協会」

高齢出産だけではない、ダウン症の赤ちゃんを授かる可能性

何歳だと高齢という線引はできないようですが、出産のときに高年だと色々とリスクが高くなると言われています。

私が息子を産んだのは32歳の時でした。

例えば20歳代の母親から生まれてくるダウン症の赤ちゃんは1,000人に1人程度ですが、40歳では100人に1人の確率になります。

実際に親の会などで出会うママの中には、20代や30代の方もいらっしゃいます。

ダウン症の子どもを授かる可能性は誰にでもあり、生命現象のひとつとして一定の確率で起きることなので、正しい知識や理解を持っておくことはとても大切だなと感じています。

引用元:「日本産婦人科医会」

ダウン症の可能性を告げられたのは生後2日目

妊娠後期に胎児の心臓疾患が分かり、小児専門の研究医療センターへ転院しました。

その為、出産直後はNICU(新生児集中治療室)に入り、3ヶ月ほどの入院生活となります。

心臓疾患があるために直接母乳が飲めず、管を通してミルクをあげていました。しかし、ミルクが戻ってきてしまうこと、便が出ないことなどから消化器系の疾患が疑われ調べた結果。

十二指腸閉鎖と分かりすぐに手術を行いました。

そのことも含め医師から・・・

「ダウン症の可能性があるので血液検査をしたい」

「結果は約1ヶ月後に分かります」

と告げられました。それは出産してまだ2日目のこと。

頭の中が真っ白になり、身体を引きずるようにしてその部屋から出て、泣きながら夫と母に電話をしました。

あんなに泣いたのは私の人生ではじめてのことかもしれません。

合併症にて手術を行う

術後、まだ回復の途中でしたが心臓の状態も悪くなり、まず1回目の心臓手術を行いました。

両大血管右室起始症という先天性の心疾患で、出生約10,000人に1人に発症するとされています。

「手術をしなければ1歳を迎えることはできません」

そう医師に告げられ、体が少し大きくなった生後8ヶ月頃に根治手術を受けることになりました。

引用元:「両大血管右室起始症(指定難病216)とは」

ダウン症を受け入れるきっかけ

生後8ヶ月頃に行われた心臓疾患の根治手術の予後は経過が悪く、生死をさまよい、再手術となりました。

「ダウン症でも、なんでもいいから、この子を助けてください」

そう願う自分の気持ちに気づき、身をもって命の尊さを実感した瞬間でした。

命と向き合えたこと、目の前の小さな赤ちゃんが生きようとしていること。

そして何より息子との日々を積み重ねることで障害や病気を自然に受け入れ母親として出来る事を探すようになりました。

8歳になる現在の息子の健康状態

手術の経過に関しては、定期的な通院から経過観察となりました。

時間と共に少しず通院の間隔がのび、現在では1年に1度の受診のみとなっています。

運動制限や薬の服用もなく、よく食べて、よく動き、元気で過ごしています

再手術の可能性も今のところは低いと診断されていますが、今後も定期的にフォローアップの為の通院は続きます。

ダウン症の子育ては先輩ママからアドバイスを受ける

ダウン症児でも、一般的な育児と共通することに関しては看護師や助産師からアドレスをもらうと安心です。

私の場合は、ダウン症児ならではの発達についての課題や困りごと、地域の情報については、「親の会」などで出会う先輩ママからアドバイスや情報をもらうのが一番役に立ちました。

それから成長過程において、療育機関等で各専門家からの指導やアドバイスを受けながら、お子さんにあった支援やサポートを見つけ検討していきました。

ダウン症についてSNSやブログを検索

不安を軽減しようと、産後すぐにダウン症の情報をネット検索したり、SNSやブログの投稿を見たりする方は多いのではないでしょうか?

私もそうでしたが、産後はただでさえ心身共に疲労し不安定。そこに障害や病気のことがのしかかるため、過剰に検索することは負担が大きいように感じます。

また、さまざまな情報があるために、知れば知るほど不安が大きくなることもあります。知ることは安心に繋がりますが、まずは自身の体と心を回復させることが大切だと思います。

正しい情報を得ながら、実際に子育てをしている先輩ママや専門家からアドバイスをもらい、お子さんのペースで、それぞれに合った関わり方を見つけられるといいですね。

自分の住む地域の情報が欲しい方は「ダウン症」「自分の住む地域」で検索すると、地域の親の会の情報が得られるかもしれません。

家族の理解、そしてカミングアウトの時期

合併症があったために、その原因である「ダウン症の可能性」については家族に話せざるを得ませんでした。

生後2日目に医師から告げられた直後、夫と母親に電話で伝えると、すぐに病院へと駆けつけてくれました。私はベッドで泣き続け、その時の記憶は所々抜け落ちて、曖昧。ずっと夢の中にいるようでした。

両親や職場などに、カミングアウトがなかなかできないということをよく耳にしますが、早くに伝え環境を整えておくことは子どもの成長や早期療育にも繋がります。

そして何より、母親一人ですべてを背負い、子育てをすることは負担が大きすぎるので、まわりの理解とサポートが必要不可欠。

私の家族はそれぞれに、状況を理解しようとしてくれていたと思いますが、受け入れるまでにはそれなりの時間が必要でした。

後から聞いた話ですが、母は最初に「なんであなたなの・・・」と思ったそうです。ですがすぐに、母親として自分にできることは何かと考えたといいます。

夫や両親、姉妹や友人たちが、それぞれに理解し状況を受け入れ、支えてくれたことが何より心身の回復に繋がったのだと、今改めて感じています。

ダウン症と診断された時はショックでした

ダウン症出産後いつわかる我が子が、ダウン症と分かった時は頭の中が真っ白になりました。

「どうして私なの?」

「なぜ私たち夫婦の元に生まれてきたのだろう?」

その答えを見つけるかのように今、人生を歩んでいます。

前向きになることはそう簡単なことではありません。

ダウン症を受け入れることも、それぞれの環境や状況が大きく関わってくるため、「いつ」ということは言えませんし、人それぞれです。

私の場合は、病気や障害が分かった時、夫をはじめまわりの人の支えが大きな力となり、私自身にも力強く生きる力を与えてくれたように思います。

息子にも、夫や家族にも、関わってくれる人たちにも、恩返しの気持ちで毎日子育てに奮闘しています。

今後も息子との子育て体験談をご紹介していきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。

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2015年にダウン症と2つの合併症を持った息子を出産。大きな心臓手術を乗り越え、この世界で生きると決めた息子と、はじめての育児や子育てに奮闘しながらも、たくさんの支えの中で“ふつうの毎日”を楽しみながら暮らしています。