妊娠33週目で前置胎盤(ぜんちたいばん)と診断され、予定帝王切開が決定してしまった私。
できるだけ安静にしつつ普段の生活を送っていましたが、妊娠35週目に自宅で不正出血があり緊急入院しました。
しかし、妊娠37週目まで絶対安静で過ごしましたが、病室で大出血してしまいパニック状態に!
心の準備もままならない中、緊急帝王切開で第1子となる男の子を出産した時の体験談です。
目次
前置胎盤(ぜんちたいばん)の疑いがあると診断された妊娠中期
初めて前置胎盤というものを知った当時の私は30歳、妊娠中期(25週目)でした。
高齢出産でもなければ、過去に子宮の手術など婦人科系の疾患もなく、いたって健康な初産の妊婦でした。
妊娠中期(25週目)の妊婦検診をいつものように受診し、超音波(エコー)検査で赤ちゃんの様子を調べてもらった日のことです。
いつもよりも超音波(エコー)の時間が長く、先生もなにやら考え込んでいる様子。
そして一言…
先生
「ちょっと胎盤の位置が低いね。前置胎盤かもしれないから、30週くらいまで様子みましょう。」
私
「前置胎盤??」
聞いたことのない言葉を告げられて、急に心臓がドキドキしたのを覚えています。その日から、前置胎盤についてネットであれこれ調べました。
前置胎盤(ぜんちたいばん)の症状や原因とは?
前置胎盤とは、胎盤が正常より低い位置(膣に近い側)に付着してしまい、そのために胎盤が子宮の出口の一部または全部を覆っている状態をいいます。
前置胎盤と診断された場合、ほぼ100%の確率で陣痛が始まる前に”予定帝王切開”となります。
通常の帝王切開よりも、分娩時の出血が多くなる傾向があり輸血が必要なケースや、癒着胎盤の合併の可能性もあるハイリスク出産です。
しかし、前置胎盤が起こるメカニズムは分かっていない為、高齢出産・喫煙者・多産婦・双胎・子宮の手術歴がある方などは用心する必要があるとされています。
原因を調べてみましたが、私はどれにも当てはまりません。
先生
「初産で前置胎盤というのはごく稀だから、まあ大丈夫でしょう。
週数が上がっていくと子宮が大きくなるにつれて胎盤も上がっていくからね。」
と言われました。
不安はあるものの、妊娠中期(25週目)ではそこまで心配していませんでした。
胎盤が上がらず妊娠後期に前置胎盤(ぜんちたいばん)と確定
妊娠後期(32週目)の妊婦検診の時に、先生から衝撃の一言が。
先生
「胎盤上がってないね…。一部だけど子宮の出口を覆っちゃってる。帝王切開で産みましょう。」
と告げられました。
妊娠が発覚した頃から自分は自然分娩(経膣分娩)で出産するものだと思っていたので、この段階で帝王切開が決定してしまった事がとてもショックでその場で泣いてしまいました。
さらに前置胎盤で帝王切開の場合、手術中に出血が増え輸血が必要になる恐れがあるため、あらかじめ自己血を保存しておく必要があるとのこと。
妊婦検診に通っていた病院ではその設備がないため、自己血を保存でき、また産まれてきた赤ちゃんにもしもの事があった場合すぐに対応できるNICU(新生児集中治療室)※のある大学病院へ転院することになりました。
(※NICU:生まれたばかりの赤ちゃん(新生児)に特化した専門集中治療室)
大学病院の先生
「初産だよね?手術歴もなし?」
と何度も確認されました。
さらに高齢出産でもなく前置胎盤となるのはとても珍しく、全体の0.5%程度だと説明されました。
大学病院では、分娩時の大量出血に備え自己血貯血をしました。一度に300mlの貯血を2回行い、輸血の準備も万全に整えました。
前置胎盤と診断されたことで、自宅で普段通りの生活は送って良いもののできるだけ安静にするよう言われ、通っていたマタニティヨガも辞めました。
自分がとても稀なケースとなってしまったのが悲しく落ち込んでいましたが、準備を整えたことで気持ちも前向きもになり、このままトラブルなく予定帝王切開の日を迎えられることを願っていました。
前置胎盤(ぜんちたいばん)で出血、絶対安静の入院生活
2回目の貯血を終えて自宅で過ごしていた夜、なんとなく下腹部に違和感を覚えました。
トイレで確認すると、微量ですが不正出血していたのです…!
震える手で病院に電話したところ、すぐに来るように言われました。
緊急に診察を受け、そのまま入院が決定。
妊娠後期(34週目)のことでした。
それから絶対安静の入院生活が始まりました。
24時間張り止めの点滴をされ、基本はベッドに横になり起き上がっていいのはトイレとシャワーの時のみ。シャワーの時も点滴部分をビニールでくるみ、濡れないように気をつけながら浴びます。
ただただ無事に週数が進んでくれるのを待つ日々です。
張り止めの点滴の副作用で常に手が震え、掌には湿疹ができました。
「なんで自分は普通に産めないんだろう。」
「何が原因だったんだろう。」
「周りは充実したマタニティライフを過ごしているのに、なんで自分だけ…」
入院当初は、かなり落ち込みました。
なかなか前向きになれない不安な入院生活が続きましたが、入院から約3週間、ついに正期産となる妊娠後期(37週目)を迎えました。
正期産を迎えることは一つの目標であったため、ここまでお腹の中で頑張ってくれて心からホッと一安心したのを覚えています。
病室でまさかの大出血!そのまま緊急帝王切開へ
妊娠37週目に入ったその日、体調がよかったのもあって入院してから初めて張り止めの点滴を一時中断してシャワーを浴びていいよと助産師さんに言われました。
点滴を打たれていない腕でシャワーを浴びるのは本当に気持ち良く、爽快な気分で部屋に戻ってきたその時です…
脚に生暖かいものが流れる感覚がありました。
痛みは全くありません。
「まさか破水!?」
と思い確認してみると、そこには大量の真っ赤な鮮血が流れていました。
頭が真っ白になりとりあえず椅子に腰掛けるも、出血が止まる気配がありません。
パニックになり当時の記憶は曖昧なのですが、おそらくナースコールで助産師さんを呼び、部屋から車椅子で診察台へ移動したのだと思います。
助産師さん達もかなり慌てていましたが、私には落ち着いた口調でゆっくりと、
「前置胎盤で大出血してしまった場合、恐らくこのまま緊急帝王切開になるだろう」
ということを説明してくれました。
急なことで不安でパニックになっている私を落ち着かせようと、ずっと手を握っていてくれたのは本当にありがたかったです。
その後すぐ先生の判断で、やはり緊急帝王切開が決定しました。
動揺する中いろいろな書類にサインを書かされました。
不安の中、予定より5日早まった緊急帝王切開
夜間の緊急帝王切開でしたが、あっという間に準備が整い手術室へ移動になりました。
「これからお腹の中に居る赤ちゃんが出てくるなんて信じられない」
予想だにしない展開に、心の準備が追いついていませんでした。
手術は無事成功。
驚くほどすぐに赤ちゃんが生まれました。
予定帝王切開のわずか5日前のことでした。
出生体重は3090gと安心できるものでしたが、「赤ちゃんの呼吸が早く辛そう」とのことですぐに保育器に入れられて連れていかれてしまいました。
「赤ちゃんは大丈夫なんだろうか?」
「なぜ大出血してしまったんだろう?」
「もっと安静にしていればよかったんだろうか?」
「赤ちゃんにもしものことがあったら…」
一瞬でも我が子を間近で見ることができ涙が出てきましたが、感動と同時に不安から出てきた涙でもありました。
緊急帝王切開の術後は謎の震え
手術を終えてからがとても長く辛く感じました。手術中も出血が多かったようで、事前に貯血しておいた自己血を全て輸血しました。
輸血したためなのか、麻酔の影響なのか原因はわかりませんが、激しい全身の震えがいつまでも止まらず呼吸するのも困難になってしまい、酸素マスクを付けられました。
病室に戻って約6時間後の朝方、やっと震えが収まり呼吸も安定してきました。
ここでやっと、「ああ、赤ちゃんを産んだんだ」と実感できたのを覚えています。
NICU(新生児集中治療室)にいる我が子にはまだ会えず、下半身麻酔で体はおかしな状態になっているものの、「どんな出産だったとしても、これから私がしっかりして生まれてきた子を守っていかなければ」という気持ちになっていました。
まとめ
これまでが、前置胎盤と緊急帝王切開を乗り越えて、第1子を出産した私の体験談です。
NICUにお世話になっていた息子も、1週間後には私と一緒に退院できとても元気に過ごしています。
「○○時間の陣痛を耐え抜いて、ようやく我が子をこの胸に抱くことができた」というような感動的なお産ではありませんでしたが、今となってはとても貴重な体験であり良い思い出になりました。
前置胎盤は予防する方法も治せる方法もありません。
診断を受けたママは無理をせず、赤ちゃんの生命力を信じて安静に過ごしてください。