私は4人の子供を子育てしています。
その中の一人、19歳の息子(長男)が発達障害(ADHD)と診断を受けたのは7歳の時。
令和の現在は、なんらかの発達障害を抱えているお子さんが10人に1人はいるという時代になっているとよく耳にします。
「どのような治療を行うえばいいの?」
「症状は改善したり治ったりするものなの?」
と気がかりも多く、悩みました。
12年前に息子が発達障害(ADHD)と診断されてから現在までの様子をまとめにさせて頂きました。
参考になればと思いますので、良かったら目を通してみてください。
目次
子供が発達障害 ( ADHD ) と分かるまで
子供が発達障害と分かるきっかけは、その時の環境にも左右されると思います。
私の場合、第一子であり、初めての子育てだったため、他の子との成長を比較する機会がありませんでした。
また、各検診でも発達障害を指摘される事はなく気にしていませんでした。
子供の成長の速度はゆっくりでした
19年前、息子が誕生し、とても可愛く溺愛していました。
6ヶ月検診の時にやっと首が座ったと同時に寝返りをうち始めました。
9ヶ月検診の時にまだおすわりは出来ておらず、1歳前につかまり立ち、そこから歩けるまでに数ヶ月かかりました。
「他の子と比べると成長が遅いかも知れない」と言われ続けていました。
ですが、あやせばよく笑い、夜泣きもせずよく眠る子だったので、特に困る事もなくマイペースに息子の成長を見守っていました。
保育園入園後、周りからの指摘
保育園に通い始めた2歳前後に、周りの子供たちとの行動に明らかな差が見え始めました。
三輪車はひっくり返してタイヤをクルクル回し、室外機や扇風機、換気扇などのモーターがついていて回るものをずっと見ていたり、特に言葉が遅く「ピカピカ」「キラキラ」等、繰り返す言葉が好きでずっと言っていました。
これらの動作や言葉は、私にとっては普通のことだと思っていましたが、担任の先生に指摘されて初めて気が付きました。
発達障害( ADHD )の診断&検査
保育園の頃に検査を受けようとしたものの、病院で落ち着きがなく走り回ったり泣いたり騒いだりしていたのでずっと延期してきました。
筆記の検査は受けられたものの、血液検査の採血をしようとすると泣き叫び大暴れしてしまったので、こちらは断念。
こちらの行動観察も観察員さんがしていたので、明らかですねとボソッと言われた記憶があります。
発達障害 (ADHD)と診断
郵送で結果を受け取り『注意欠陥多動性障害(ADHD)70%、広汎性発達障害(PDD)20%』等と記載されていました。
ADHDには「不注意型」「衝動型」「多動型」があるようで、長男の場合は「不注意型」にあてはまりました。
お薬療法などもありましたがそちらはお断りし、漢方療法を試してみましたが、一口も飲めず断念しました。
親が行動したこと
まずは本屋へ行きADHDの本を買いました。
そして次に図書館へ行き、ここでもADHD関連の本を借りました。
とにかく本を読み漁り、親が変えるべき行動や言動を徹底することにしました。
周囲への報告
まずは家族に報告。
次に学校の担任の先生に報告し、その次に学童の先生。
息子の友達には報告せず、クラスで公表することもしませんでした。
この頃は、頼る場所とかも少なくてとても肩身が狭かったです。
小学校での生活
授業中に立ち歩いたり騒いだりすることはなく、自席で静かに授業以外の別のことをやっているようでした。
たとえば、教科書にパラパラ漫画を書いていたり、プリントの「名前」と言う部分に電車のイラストを書いていたり、授業を受けているかと思えば図書室から借りてきた本を読んでいる、といった様子です。
周りに迷惑をかけることはなく、授業で先生にあてられれば「はい、これは○○です」ときちんと回答できていると報告を受けました。
友達との関わり
休み時間に友達から声をかけられても絵を描くことに夢中になってしまっているので、無視をしているという形になっていたり、逆に休み時間が終わるチャイムが聞こえなくて遊びに没頭してしまう事もあったそうです。
ですが、本人の口から「友達」について話を聞くことはほとんどありませんでした。
学校への希望
他の子と変わらずに接してほしい、特別扱いしないで接してほしいと伝え、その後は連絡帳で学校での様子と家での様子をやり取りしました。
先生と常に情報を共有する事で、子供の様子が伺い知る事ができました。
問題行動の対処法
高学年になると、本人は周りと違うことに気が付き始めます。
周りのお友達も「あの子は何?」と違和感を覚え、友達関係に距離が生まれたり、特定の子供たちからの仲間外れを受けるようになりました。
そして、授業中に「なんでお前だけ絵描いてんだよ」と言われたことで、自分の居場所が分からなくなり思わず教室から飛び出したことがありました。
そのまま正門をよじ登って逃げようとしていたところ先生に捕まり、これが後に問題行動ということになったのでそこから対処法を考えました。
- 注意は先生からするということをクラスで統一
- 通級への提案を検討
急に絵を描いている事を注意されショックを受けて逃げてしまった事から、息子への注意は先生からすると統一して頂きました。
結果、それが特別扱いという事で納得のいかない児童も出てきました。
嫌がらせを受けるようになり、通級に通うように。
通級では素で過ごせる事に気が付き、楽しく学校に通えるようになりました。
中学校での生活
中学生になり、ADHDの特性の動作が大分薄れてきたように感じました。
回るものをじっと見つめるとか、注意され突発的に逃げ出したりすることも、ほとんどなくなりました。
普通に接しているだけでは発達障害があるということが全くわからないレベル、というところです。
友達との関わり
小学校の頃とは違い、特定の友人のみと交流していました。あとは部活仲間。
その理由は、先輩は頼りになるしわからないことを教えてくれるし尊敬する、後輩は頼ってくれるし知ってることを教えられるし優しく出来るからだそうです。
横の関わりよりも、縦の関わりが良好でした。
学校への希望
急かすと何も出来ないので、「いつまでにここまで」と分かりやすくやすく伝えてほしいという事と、苦手を押し付けるよりは「どんな調子?」と聞く程度にしてほしい事を先生にお伝えしました。
マルチタスクが苦手なので、一つずつ説明し息子に話して貰う必要もありました。
部活動について
部活動は積極的に参加していました。
吹奏楽部に3年間所属し、コンクールや鑑賞会など、親が参加可のものは全て参加し、動画を撮影、毎回すごく感動したことを伝え続けたことでも本人の自信につながったんだと思います。
部活仲間と励ましあって支え合って続けることの楽しさも知ったようでした。
高校での生活
高校での生活は、小学校と中学校よりも過酷。
周りと自分との能力や対応力、コミュニケーション力の差に凹む毎日でした。
友達との関わり
中学校の唯一の友人と入学し奇跡的に同じクラスだったことが本当に救いでした。
新しい友達を作ることは苦手なので、自分からは関わりにいかず、友人に話しかけてきたところで自分は話に加わるといった感じです。
学校生活の難しさ
中学校の時とは変わらず普段どおりに過ごしているだけでも、周りからは普通の人として映ることがほぼゼロになりました。
「あいつだけ絵なんか描いちゃってさSNSであげてやろうぜ」
とか、目立つことをしていなくても目立つようになっていきました。
小学校や中学校とはまた違った、同学年からの「あいつは変わってる」「変なやつだ」と言われることがとてもストレスだけど、言い返すことはせず。
本人は普通にしているだけ、周りと同じ様に行動しているつもりでも、違って見られてしまうこと、対応の仕方も本人にはとても難しく感じられたようでした。
後に先生に相談。
三者面談をし、私も先生も本人の気持ちと意見を尊重したいということで、通信制高校への編入を考えることで合致しました。
通信制高校へ編入学
編入する高校は息子が選びました。
登校も勉強の速度も自分のペースで進められるのでストレスがなく、好きな絵を描く時間やバイトをする時間も自分の自由で出来る。
全部自分のペースで好きなように出来たことがとても合っていたんだと思います。
おかげさまで、卒業出来ました。
成人になり現在について
現在は、大好きな絵の専門学校に通っています。
小中高の頃とは違って変な目で見られることもなく、友人にも恵まれ、周りから発達障害について言われることがなくなりました。
今でも好きなことには熱中しすぎたり、忘れ物をすることは多少なりともありますが、そこはご愛嬌です。
最後にひとこと
周りからは「大変だね。」とか「可哀想。」とか随分言われてきましたが、過剰に気にせず子供の好きを応援することと毎日を楽しむことを意識して過ごしてきました。
息子と19年間一緒に過ごしてきて思うことは、発達障害って障害じゃなくて「個性」だということです。
発達障害だからという理由で子供の可能性を潰してしまうような環境におかないことを、私はこれからも親としてしていきたいと思っています。
そして何より子供と毎日笑って元気に過ごすことが1番だと思います。
昔と違い、発達障害に関しては認知度も高まり、周囲の理解も得やすくなっています。支援もサポートも相談窓口も充実して来ているようにも感じます。
お子さまの理解を深めたいと感じているお父さんやお母さんは、相談やサポートの利用を検討してみると良いかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました。